このコーナーは、内装改修中です。
(1) はじめに
向こう30年間で70%の確率で起こるとされる首都直下型地震。言われ始めてからすでに何年か経ちます。
関東大震災が 1923年に起こってから今年で100年が経過します。
本当に、私たちの街は大丈夫なのでしょうか。子供たちの安全・安心を考える「あさっこ会」は、
私達の活動を通して皆様に必要とされる情報をできる限りお伝えしょうと思います。
杉並区でも、首都直下型地震を想定した様々な、シュミレイションを出しています。(下図 ご参照)
地震によるゆれ、液状化、急傾斜崩壊、火災により建物被害は甚大になります。
首都直下型 M7.3 冬18時 風速8M/Sの場合 杉並区全体で、避難者100,380人と予測しています。(地震被害 シミュレーション 杉並区 平成30年10月)
避難するにあたって、最初に逃げる逃げないの選択もありますが、両方の選択も交えながら、これから、
ブログを通して、一つの選択枝としての「逃げ地図」の説明をしていこうかと思います。
(2) 私たちの街を知ることから防災の全てが始まる
街の安全と危険な個所を知ることが街を知り、防災を考える第一歩です。 その為には街の歴史を知り、街の地形を知る事が街の防災・安全につながると考え、街歩きを通して道路の特徴・生活との関連・接道部の工作物などに付いて調べようと思いました。
杉並区は下記のような特徴があります。
① 曲がりくねった細い道
・杉並区は都市整備が都市化の波に追いつけず、農村のあぜ道がそのままの形をもとに住宅街の狭あい道路として、残されたように思われます。
・桃園川などの湧き水から発した河川は、低い台地の間を抜けて、平地を流れていきます。川をはさんで阿佐ヶ谷村、高円寺村、馬橋村などの集落が点在しています。青梅街道は尾根上を通っています。
下の図:天沼 郷土博物館 資料より
もう少し、後世になると鉄道が開通し、青梅街道にはトローリーバスが走っています。
阿佐谷付近の道路は、今のパールセンターの通りがメインストリートで、まだ中杉通りは整備されていません。下図面の中の赤表示のラインは、当時の都市計画道路です。
今の青梅街道は現在の青梅街道の線形ですが、JRに近い方の計画道路は、線路沿いに計画されていました。
当時、阿佐ヶ谷南口の道路は、パールセンター通りが幹線道路として機能されていたことがわかります。
下の図:東京都区分詳細図 杉並区 日本地図株式会社 昭和22年2月5日 発行より